せいちゃんの赤ちゃん時代パート2

入退院を繰り返し、すっかりママより看護師さん達のほうが、せいちゃんの楽な体勢をマスターしていたような日々でした
 
何度も、お家でみんなで過ごすため・・・主治医と話し合いをしました
いつも、言われる事は同じでせいちゃんの為には、喉頭気管分離をしてあげること
でも、せいちゃんのウキャっていう笑い声も、ママ抱っこ〜とせがむ泣き声も聞けなくなるのかと思うと、よし!やってくれなんては言えなかった
でも、パパとママを決心させたのは、もうせいちゃんの命の光が消えそうになった時でした平成15年3月、2歳の春でしたパパ、ママすぐ来て下さい、との連絡を受け駆けつけると、もう限界だよというせいちゃんの切なそうな姿
それを見て、もう決めたパパ、声が聞けないなんて言ってる場合じゃないよね!せいちゃんを今失ったら、一生悔やむ事になる!そう決めた私達は、せいちゃんにやってあげられる事は全てやろうそして、生きられるだけ生き抜いてもらおうそう決めたのです
 
今を脱する為に、まずは人工呼吸器をつけました
楽チンになり、ママ達は一安心
でも、複雑な気持ちでした
 
状態も落ち着き、いざ手術せいちゃんのいる病院では、その頃はまだ喉頭分離ができなかったので、探しに探して埼玉県に行く事にしました
まだ状態の不安定なせいちゃんは、主治医同乗で救急車で転院しましたぁ
 
先生!せいちゃん共々頑張ってきまーす
しばしのお別れでした
 
初手術、お見送りの時は何も知らずにストレッチゃーにのせられ、手術室に向かうせいちゃんに、申し訳ない気持ちで、パパとママは周りも気にせずワンワン泣きました
 
確か5時間程の手術だったような・・・
顔はムクみ、喉には呼吸をする為の穴が作られそこには、カニューレと呼ばれるチューブが入れられていました
ガーゼには出血が・・・
でも、せいよく頑張りましたよ
 
順調に回復し、これで誤嚥性肺炎ともおさらばよ
 
 
退院許可が出て、お世話になりましたぁ埼玉県を後にして、また地元の病院に戻りました
 
そこで、ママはせいちゃんがおうちに帰っても困らないよ〜に、と特訓を受けました
 
せいちゃん、声は失ったけど、ちゃ〜んと上向いて眠れてるね楽チンな表情に、ママ達も思いきって良かった〜、と思えたのでした