せいちゃんの生きてきた軌跡



こないだ、レナちん達の主治医とたわいもない話から、せいちゃんの話になった・・・
 
 
せいちゃんが産まれた頃、まだお医者さんになっていなかった先生
 
 
ママは、今まで話した事がなかった
せいちゃんが頑張って生きてきた事を
 
 
この『3兄弟の生活記録』をよ〜く読んで下さってる方は、ご存知でしょうが、改めて書いてみたいと思った
 
 
せいちゃんを身ごもった時、まだパパとママは結婚してなかった
 
いわゆるできちゃった結婚です
パパもママも、まだ21歳でした
 
お互い、就職して親から自立したばかり
 
なのに、妊娠なんて
と、初めは産む事を反対されました
 
でも、パパとママの中では産む事しかありませんでした
 
で、最終的にはお互いの両親は、納得して応援してくれるようになりました
 
一生に一度だから、と妊娠6ヵ月の時に結婚式も挙げました
 
せいちゃんが産まれて、当たり前の育児が待ってる
と、思ってたけど、せいちゃんに何か病気があるって分かった時、正直みんながどん底に突き落とされた気持ちでした
 
 
でも、小さい体で必死に生きようと頑張ってるせいちゃんを見たら、守らなきゃならないんだ
 
たくさん親に心配をかけて、好き放題生きてきたママは、初めて親の気持ちが分かった気がします
 
 
それからは、パパママ、おじいちゃん、おばあちゃん、みんながせいちゃんを守る為、必死にいろいろ悩みました
 
ママが言うのもなんだけど、せいちゃん、外人さんみたいに本当にかわいい赤ちゃんだった
 
 
それから数年は、せいちゃんにとっても、パパママにとっても人生の不幸が一気にきた感じでした
 
 
まだ、その頃今みたいに医学も進歩してなくて(というより、今の病院のレベルが低かった)せいちゃんは、たくさん苦しみ、そしてたくさんの修羅場を乗り越えてきました
 
2歳の冬は乗り切れないって言われた事・・・
 
パパとママは、せいちゃんを絶対死なせないって、固く誓った事・・・
 
何度も肺炎を繰り返して、入退院を繰り返した事・・・
 
そして、手術を決断した事・・・
 
さらに、その頃はまだせいちゃんのいる病院で内視鏡での手術ができなくて、県外の病院に行った事・・・
 
 
いろうの手術をした直後に、敗血症性ショックで生死をさまよった事・・・
 
再び県外の病院に戻り、喉頭分離をしてかわいい声を失った事・・・
 
 
膿胸になったけど、リスクが大きいとなかなか手術に踏み切ってもらえず、1ヵ月も苦しんだ事・・・
 
 
 
今は医学の進歩と、先生達の技術のおかげで大抵の手術は、うちの病院でできるようになった事・・・
 
 
たくさんたくさんお話しました
 
 
ママが話してると、先生の目にうっすら涙が光ってた
 
 
せいちゃんの生きてきた『軌跡』には、たくさんの『奇跡』がある
 
 
いつも、もうダメなのかなって諦めかけると、何か助けられる気がする
 
 
今までパパとママが選択してきた事が、せいちゃんにとったら迷惑だったかもしれない。
 
ただせいちゃんを失いたくない、パパママのエゴかもしれない。
 
 
でも、今こうしてせいちゃんといられるパパママ、おじいちゃん、おばあちゃんは幸せです。
 
 
そしてレナが産まれ、まなくんが産まれ、みんな同じ病気を背負ってやってきたけど3人同じようにかわいくて、大切な大切な宝物
 
 
だから、これからも3人の命を大切に、離れないようにパパママはついていくだけです!
 
3人も障害児がいて、我が家を不幸と感じる方も多いと思いますが、パパママにとったら決して不幸ではない事。3人に出会えたことを、本当に感謝してる。
大好きなせいちゃん、レナちん、まなくんがこれからも笑って暮らせるように、どうか温かく見守って頂けたら嬉しいです♪
そしてせいちゃん、ママのこんなしみじみした気持ちも知らず、のんきにテレビみてるんだ〜☆   


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